「砂沙美ちゃん、どうしたの?」 美紗緒が、砂沙美の顔を見るなり、いきなりたずねてきた。その肩には、い つのまにかジュライヘルムから戻ってきた留魅耶が乗っていた。 「え?なに?砂沙美がどうかした??」 「だって、砂沙美ちゃん、ほっぺに、なんだか涙の跡がついてるみたいだっ たから…………」 美紗緒の鋭い観察眼に驚きながらも、砂沙美は何とかその場をしのごうとし ていた。 あの後、結局明け方まで眠れず、気がついたときには、美紗緒との待ち合わ せの時間ぎりぎりだったのである。しかたがないので、ほとんど寝起きのま ま、身だしなみの大部分を省略して、美紗緒のところにきた、というわけで ある。それで、頬の部分に夕べの涙の後がうっすらと残ってしまっているの である。 「ええ??そんなことないよ。や、やだなあ、美紗緒ちゃん。泣いてもいな いのに、そんなものつくわけないよ」 この反応で美紗緒は、砂沙美ちゃんは夕べも泣いてたんだね、と確信してし まった。 美紗緒は、父の夢を見ては、寂しいと言って泣いていたことがあり、朝、起 きたときに鏡を見ると、頬に一筋の涙の跡がついているのを何度も見ていた。 そして、母、琴恵に心配をかけないようにと、丁寧に顔を洗って涙の後を消 していたことがあるから、すぐに分かったのである。 別に、美紗緒は、砂沙美に詰め寄る気は毛頭なかったが、美紗緒の沈黙は、 砂沙美にかえって本当のことを話させる事になった。 「………美紗緒ちゃん、夢って、寝てるときの夢って、どういう時に見るも のなのかな?」 いきなりの事で、美紗緒は少し驚いたが、落ち着いて思考をまとめて答えた。 「……本で読んだ事があるけど、何か心配事や、とっても大事な事や大事な 人の事が、夢になって出てくるんだって……。砂沙美ちゃん、もしかして、 夕べ、魎皇鬼ちゃんの夢を見たの?」 「うん。どこだか分からないんだけど、すごく暗いとこで、魎ちゃん一人で 何かと戦ってた。魎ちゃん、とっても苦しそうで、辛そうで、でも、砂沙美、 何にもしてあげられなくて………。それに、せっかく魎ちゃんとつながった のに、だれかに邪魔されちゃうし…」 じわりと、砂沙美の瞳が潤む。 あの日以来、砂沙美の本当の笑顔を見ていない、と美紗緒は思った。 笑ってくれていても、心の底から笑っているわけではない。心のどこかに小 さくさしている影がいまだに取れない。 「どうして?どうして、留魅耶君は美紗緒ちゃんのそばにいるのに、魎ちゃ んは砂沙美のそばにいてくれないの?どうして留魅耶君はここにいるのに、 魎ちゃんはここにいないの!?」 砂沙美は、自分が美紗緒に対して何を言っているのか、分からなくなっていた。 砂沙美が、他人に対して初めて抱いた嫉妬であった。 「こんなのって、ないよ、こんなのって、ひどいよお……」 ついに砂沙美は泣き出してしまった。 美紗緒は激しく後悔した。 余計な詮索してしまった。誰だって、泣いた事を知られたいわけがない。 「砂沙美ちゃん、ごめんね、私、そんなつもりじゃなかったのに……」 美紗緒は、砂沙美の両手を握って、あやまった。 「美紗緒ちゃん、砂沙美の事、嫌な子だと思ってる?」 しゃくりあげながら、砂沙美は美紗緒に問いかけた。 「え!?そ、そんなことないよ!そんなこと、絶対にない!」 「でも、せっかく楽しく過ごそうと思ってたのに、こんなことになっちゃて……。 魎ちゃん、絶対帰ってくるって言ってたのに、砂沙美、なんだかとっても心配で……。 それに、留魅耶君と一緒にいる美紗緒ちゃんがうらやましいなんて思っちゃって……。」 「そんなの、当たり前だよ、砂沙美ちゃん。誰だってそう思うもの。砂沙美 ちゃんだけじゃないよ。」 「うん………」 「ね?もう泣かないで。なんか最近砂沙美ちゃん泣いてばっかりだよ、元気 出して?ね?」 「ごめんね、美紗緒ちゃん」 すると、美紗緒は、砂沙美の唇に人差し指を当てて、にっこりと笑って、 「あやまったら、ダメ」 と、いつか言ったせりふをもう一度言った。 「うん………」 砂沙美は泣くのをやめ、両手でグイッと目を拭き、笑顔で美紗緒を見た。 なんとはなしに、その笑顔につられて、美紗緒が笑い出す。 「うふふ………」 「え?なに?どーしたの?美紗緒ちゃん?」 「やっぱり、砂沙美ちゃんは笑ってるほうが可愛いと思って」 「そ、そおかなあ?やだなあ、美紗緒ちゃん、急にそんなこと言って。砂沙 美なんだか照れちゃうよ。あは、あはははははは………」 「うふふふふ………」 「あはははは……」 少しでも、砂沙美の胸のつかえが取れた気がして、美紗緒はほっとした。 普段、元気いっぱいの砂沙美だが、自分の感情を他人にぶつけるということ は、あまりしてこなかった。いつも、受け止める側に立っていた。もちろん、 自分の言いたい事をそのまま言うが、それは、感情をともなった表現ではな かった。 美紗緒は、ここ数日間で、砂沙美のもう一つの面が見られて、なんだか砂沙 美にまた一歩近づいたような気がして、うれしかった。 その二人を、美紗緒の肩の上でじっと見ていた留魅耶は、この砂沙美の笑顔 のためなら、どんな苦労も惜しくないな、と、魎皇鬼の決意を改めて知った。 それと同時に、留魅耶は、今の自分の事を考えていた。 ボクは、今ここにこうしているけど、これで本当に美紗緒の苦悩の償いにな っているのだろうか。 それは、留魅耶がいつも考えている事だった。 それに対する答えは、まだ出ていない。 その答えは、留魅耶が出すものではないのかもしれない。 ならば、美紗緒といつまでもいようと思う。 きっと答えはあるはずだから。 「?どしたの、るーくん?」 表情など分かるはずはないのに、美紗緒が不思議そうに留魅耶の顔を覗きこ んだ。 美紗緒の、エメラルドグリーンの瞳が、留魅耶のすぐ鼻先にあった。 吸い込まれてしまいそうな、美しい緑色が、留魅耶の視界を覆っていた。 留魅耶は、考え事をしているときは、つい遠い目をしてしまうのだが、鳥に なっている今、そんな表情は人間の目には分かるはずはなかった。 「え、え?ボクがどうかした?」 「だって、るーくん、なんだかぼーっとしちゃって、へんよ?」 「そ、そかな?」 「あ、るーくん、さては砂沙美ちゃんに…?」 「ち、違うよ、そんなんじゃないって!!」 「うふふ、うそ」 なんだか、いい雰囲気な二人である。 そんな二人を見ていると、砂沙美は、自分の心の中に、小さな黒い感情が生 まれてくるのを感じずにはいられなかった。 懸命にそれを振り払おうとするが、どうしてもできなかった。 やだ、やだよ、こんなの………。 こんなの、砂沙美じゃないよ……。 しかし、押さえつければ押さえつけるほど、かえってそれは大きさを増して いくようだった。 「美紗緒ちゃん、ごめん!!」 砂沙美は、突然そう言うと、いまきた道を走って引き返した。 「あっ、さ、砂沙美ちゃん!?ま、待って!!」 美紗緒は追いかけようとしたが、もともと走る事が得意でない美紗緒は、あ っという間に引き離された。 「さ、砂沙美ちゃん……」 肩で激しく呼吸をしながら、美紗緒は砂沙美が走っていった方向を見ていた。 そのころ、砂沙美は、周囲には目もくれず、ただ走っていた。 春の日差しが心地よい並木通りを、自分の家に向って走っていた。 不思議な事に、通行人が誰一人としていなかった。 まるで、誰かが、砂沙美をここへ誘導したかのようだった。 「なんで、なんで?どうして?美紗緒ちゃんが、美紗緒ちゃんがあんなに嬉 しそうにしてるのに、どうしてこんなに嫌な気持ちになるの??」 「こんなの、砂沙美じゃないよ!」 「砂沙美は、美紗緒ちゃんがうれしいなら、砂沙美もうれしいもん!」 “そう?” 「えっ!?」 一瞬、魎皇鬼かと思ったが、声が違う気がした。 立ち止まって、意識を集中した。 「り、魎ちゃん?」 “違うわ” 「だ、誰!?」 “アタシよ” 「だ、誰なの!?」 “アタシは、あなたの中にずっといたのよ?知らなかった??” 「砂沙美の中??」 何を言われているのか、さっぱり分からない。 しかし、その声には、聞き覚えがあった。 間違いない、それは、自分自身の声。 「あなたは一体??」 “いい子ちゃんぶるのも、もう疲れたでしょ?そろそろアタシを解放してく れない?” 「なにを言ってるの!?」 “あなた、美紗緒と一緒にいて、それで満足?あなたは、美紗緒と一緒にい ると、美紗緒の引き立て役にしかならないのよ?分かってるくせに” 「そ、そんなことない!そんなことないもん!!」 “そう?今までは、あなたが美紗緒を守ってることでなんとか優位を保って いられたけど、今は違うわ。今はまるで逆。それでいいの?” 「や、やめてよ――――――っ!!!!!!!」 砂沙美は絶叫した。 しかし、“声”は、お構いなしに続ける。 “アタシを開放しさえすれば、楽になるのよ?もうなーんにも考えなくてい い。あなただって見たでしょ?ミサになったときの美紗緒は、とっても自由 で、楽しそうだった” 「………………!!!」 砂沙美は、耳をふさいで、地面にしゃがみこんでしまった。 “声”は、やさしく語り掛ける。 “さ、アタシを解放するの。簡単な事よ。ただアタシに任せていればいいの。” 「いや、いやあ………」 涙声になって、砂沙美は抵抗した。 「砂沙美ちゃん!!」 ようやく追いついた美紗緒が見たものは、道端でしゃがみこんでいる砂沙美 だった。 「どうしたの!?どっか痛いの!?ねえ、砂沙美ちゃん!?」 あまりの砂沙美の苦悶の表情に、美紗緒はただならぬものを感じていた。 「み、美紗緒ちゃん………」 砂沙美は、美紗緒を見上げた。 ホッとしたような、それでいて、心のどこかが痛むような気がした。 “ほら、やっぱり。あなた、他人の事を受け入れすぎなのよ。そうやってな にもかも受け入れていると、そのうちパンクするよ?もう、アタシにまかせて、 ゆっくりお休みなさいな。いい子ちゃんの砂沙美ちゃん” 「だ、だめええええええええええええっ!!!!!!!!!」 地を割らんかというような絶叫であった。 あまりのことに、美紗緒は2、3歩後ずさりした。 「さ、砂沙美ちゃん!?」 「美紗緒!魔法の反応がする!!」 事の成り行きを見ていた留魅耶が、表情を険しくして美紗緒に言った。 「え?魔法の反応って?」 「とても強い魔法の反応だ。これは、純魔法!?まさか!?」 ジュライヘルムでも使えるのは神官以上の強力な魔力を持つもののみという、 純魔法。 それがひとたび発動すれば、星の一つや二つはかるく消滅させる事ができる。 生命の源を断ちきる事ができる、強力な力。 並木がしだいに枯れ始めた。 「な、なに!?なにが起こってるの!?」 美紗緒は、周囲を見渡して驚愕した。 「周りの生命力を奪って、魔法力を増幅させているんだ!!生身のままじゃ だめだ!!」 「ど、どうすれば………!」 「美紗緒!変身するんだ!」 「で、でもそれじゃ、るーくんは?」 「ボクのことなら心配ない。さ、早く!!」 留魅耶は、意識を集中して、ミサのステッキを呼び出した。 つい先日まで使っていた、もう2度と使う事はないであろうと思っていた、 魔法のステッキ。 美紗緒は、再びそれを手にした。 「大丈夫!何度でも、あたしが砂沙美ちゃんを助けるんだから!!今まで助 けてもらった分、あたしががんばるんだから!!」 「ピクシィミューテーション・マジカル・リコール!!」 美紗緒が変身し終わったとほぼ同じタイミングで、砂沙美の周囲が、強力な 魔法結界に包まれた。 コウッ!!! 深い紫色の光の柱が、結界から垂直に伸びた。 何者かのシルエットが浮かび上がる。 地面につきそうな長いおさげ、極端なミニスカート、右手にはハートを先端 に持つバトン。 プリティサミーによく似たシルエットだった。