その二人をはるか上空から見つめている者がいた。 大気圏を突き抜け、宇宙空間にまで視線を伸すと、そこにはジュライヘルム がある月があった。 プリティーサミーとピクシイミサ、いや、砂沙美と美紗緒とが力を合わせて守 り抜いた、色とりどりの花が咲き乱れ、自然と人間とが完全な調和の中で暮ら している、美しい魔法の国、ジュライヘルム。 そのジュライヘルムを精神的に支え、かつジュライヘルムのすべてを司る、ジ ュライヘルムの女王が住まう場所、「すめらぎの塔」が、ジュライヘルムのほ ぼ中央にあった。 「よかった……。ありがとう、美紗緒ちゃん……」 その塔の一角で、津名魅に与えられた自室の、その中に設置された魔法スクリ ーンで、二人の様子を見ていた魎皇鬼は、ほっとすると同時に、美紗緒に対し て感謝していた。 ジュライヘルムに戻ってきているため、今の魎皇鬼の姿は人間形態である。 年の頃は砂沙美とほぼ同じくらい、ゆったりとした神官見習いの衣服を着たそ の背丈は、砂沙美よりやや高めで、端正な顔立ちのりりしい少年の姿であった。 その金色の瞳は、意志の強さを示していた。 「魎皇鬼?」 いっしょに様子を見ていた、ジュライヘルム女王、津名魅が、後ろから心配そ うに声をかけてきた。 「よかったのですか?これで?ずっと砂沙美ちゃんのそばにいてもよかったの ですよ?」 そう。 津名魅は、別れのとき、魎皇鬼に、地球に残ってもよいと言ってくれた。 魎皇鬼は、その言葉を聞いたとき、とてもうれしかったが、それでは、自分が 砂沙美のそばにいる意味がないことを分かっていたので、あえて断ったのだった。 一人の男の子として、砂沙美の前に立っていたい。自分の本来の姿で、砂沙美 に触れたい、そして砂沙美に自分を触れてほしい。そんな思いがあったから、 魎皇鬼は帰ってきたのだ。ジュライヘルムでも高度な魔法の部類に入る、「魔 素凝結の術」を身につけるために。 ほとんどのジュライ人は、津名魅や裸魅亜のような、強力な魔法力をもってい ないので、ジュライヘルム以外の星では、ジュライ人の生命の源である、魔素 の拡散を防ぐため、魔法力の少なくてすむ動物形態でいることを強いられる。 だが、この「魔素凝結の術」を身につければ、身体の中心部分に魔素を固定凝 結させることで、人間形態のまま他の星へ降り立つことができた。 それならジュライ人がすべてその術を身につければよいのだが、この術は、術 を発動させる技術的な問題もさる事ながら、その術者のもともとの魔法キャパ シティーがもっとも重要なことだった。 魔法キャパシティーとは、各人が持っている、「魔」を司る「心」の許容量を 指す。魔法キャパシティーは、修行によって増加させる事ができるが、そのた めの修行は、精神的にかなりの負担を強いられるので、あまりその修行をしよ うとする者はいない。 肉体的な苦痛には耐えられても、精神的な苦痛には耐えられないというのは、 どこの世界でも同じである。 喜び、悲しみ、嫉み、妬み、怒り、愛情、その他、あらゆる感情に反応する魔 法は、それだけにその術者の「心」によって制御されることになる。 魔法キャパシティー増加の修行は、心の修行なのである。 いかに自分の心を、自分の中に棲んでいるモノを、認めることができるか、そ れが魔法キャパシティーを増加させる事ができるかの鍵である。 呪文の詠唱ができればそれですむ問題ではないのだった。 言葉にしてしまうと、なにやら簡単な事のように見えるが、実際に自分の、自 分でさえも気がついていないようなこと、あるいは、気づくことを避けてきた ことを、目の前に突き出されて、それを認める事は、想像を絶する苦痛である。 自分自身と戦う事、これ以上の苦痛はない。 魎皇鬼にできる保証はなかったし、彼自身、できるかどうか分かっていなかった。 ただ一つ、確実にいえることは、魎皇鬼は、砂沙美を心から好きだということ。 砂沙美の笑顔を見るためなら、なんでもできると確信が持てるということだった。 たとえ、それが自分自身を、そして自分が大切にしている砂沙美のイメージを 傷つけられることになっても。 人妻隊の急襲を受けたとき、魎皇鬼は分かったのだ。 なぜ、自分は砂沙美と一緒にいるのか。砂沙美と一緒にいると、なんだかとっ ても暖かい気持ちになれるのはなぜなのか。 それは、砂沙美のすべてが好きだからなのだ。 「ボクは、砂沙美ちゃんと一緒にいられて幸せだ!!これからも砂沙美ちゃん とずっと一緒にいたい!!!」 あの時の言葉は、半分は「愛のパワー」を発動させるためのものであり、半分 は日ごろから砂沙美に対して抱いていた、魎皇鬼の本心だった。 そして、砂沙美が、魎皇鬼の言葉に頬を赤らめてそっぽを向いたとき、「愛の パワー」が発動した。 魔法は人の心に反応する。そして、「愛のパワー」は、愛し合う二人の心が共 鳴し合って初めて発動する力である。 その力が、砂沙美と魎皇鬼の間に発動した。 このとき、魎皇鬼は知ったのだ。砂沙美も、自分を単なるパートナーとして見 ているのではなく、一緒にいるのがうれしくなる存在として見てくれているこ とを。一緒にいることが幸せと思っていてくれていることを。この瞬間から、 砂沙美と魎皇鬼は、急速に心が接近していった。 砂沙美も魎皇鬼も、まだ「愛」がなんであるかを知らない。漠然と感じてはい ても、明確な答えを知っているわけではない。 もっとも、「愛」がなんであるかを定義する事は、何人たりとも不可能である が、人それぞれの「愛」に対する、揺るぎ無い考え方を持っている。 砂沙美と魎皇鬼は、まだそこまで行き着いていないということである。 だが、お互いが「いっしょにいたい」と思う気持ちは、変えようがない真実で あった。 「よいのですか?これで……?」 そんなことを考えていた魎皇鬼に、津名魅はもう一度たずねた。 「はい」 魎皇鬼は、津名魅の、砂沙美と同じような暖かな視線を受け止めながら、はっ きりとそして内に秘めた力を沸き起こさせるかのように、ためらいなく答えた。 「津名魅様。ボクは、砂沙美ちゃんが大好きです。でも、今のままではだめな んです。ボクも砂沙美ちゃんと同じになりたい。砂沙美ちゃんといっしょの世 界が見たいんです」 「………魔素凝結の術を、身につけると言うのですね?」 津名魅は、できれば止めてほしいと言う願いを込めて、三度たずねた。 「はい」 魎皇鬼の決意は、岩よりも固いものだった。 魔素凝結の術。 一歩修行の仕方を間違えれば、命にかかわる非常に危険な術。 今まで何人もの修行者たちが挑戦し、「魔」を司るべき「心」を崩壊させ、廃 人同様になってしまった者、あるいはその命さえ落としてしまう者もいた。 それを、津名魅の目の前にいるこの少年はやろうとしている。 砂沙美という、一人の少女の笑顔を見るために。 「分かりました。それでは、慣例に従い、2ヶ月間の修行期間を設けます。 そして、前半の1ヶ月間で、あなたの魔法キャパシティーが基準値を下回るよ うな結果でしたら、修行を中断し、強制的に召喚します。よろしいですね?」 「はい!」 津名魅は、魎皇鬼の元気のよい答えを聞いて、多少明るい気分になった。 修行の場である精神世界からの強制召喚が、どのような結果をもたらすか、魎 皇鬼は分かっていない。 いや、事前に説明はしてあるので、まったく無知であるという事ではないのだ が、彼は理解しているだけであって、生理的、生物的に感じる「恐怖」として 認識していないのである。 しかし、今さらそんなことを魎皇鬼に語ってみせたところで、悪い影響こそ与 えるが、よい事など一つもない。 だから、津名魅はそれ以上くどくどと言う事をやめ、魎皇鬼にすべてを託す事 にした。こうして、魎皇鬼は、津名魅の許しを得て、いよいよ魔素凝結の術の 修行に入ることになった。 まってて。砂沙美ちゃん。必ず、キミのところに行くから!! ボク本来の姿で!!! 砂沙美の笑顔が、いろんな笑顔が、再び魔法スクリーンに視線を戻した魎皇鬼 の、頭の中で浮かんでは消えていった。 津名魅との最後の確認を終えた後、魎皇鬼は、修行者たちが身を清めるために 使う、「改めの泉」に向っていた。 午後の日差しがやわらかに降り注ぐ、津名魅が植えたのであろうと思われる、 色とりどりの美しい花々が咲き乱れる中庭に面した、とても長い回廊の向こう から、魎皇鬼と同じくらいの背格好の人物がやってきた。 魎皇鬼と同じく神官見習いで、裸魅亜の補佐官を勤めている留魅耶であった。 「やあ」 幼さが残る、人好きしそうな優しい顔をほころばせて、先に声をかけたのは、 留魅耶であった。 「ああ、留魅耶。どうだい?裸魅亜様の様子は?」 津名魅がジュライヘルムの女王になって以来、裸魅亜は、その片腕として、も っぱら外交問題を担当していた。とは言っても、ほとんど力ずくで解決してき たのだが。 活動的で、自分の考えに忠実な裸魅亜には、打ってつけの仕事であった。 しかし、そのストレスは尋常なものではない。 そして、そのストレスのはけ口は、当然留魅耶であった。 「毎日大変さ。いまだに毎日“アタシが女王だったら、もっとスムーズに事が 運んでたのに!!”って、絡んでくるんだから」 留魅耶は、しかし、口で言っているほど大変そうではない口調で答えた。 「??」 留魅耶の表情といっている事が、あまりかみ合っていないように見えて、魎皇 鬼はいぶかしがった。 「でもね、憎たらしいからそんなこと言ってるんじゃないんだ。津名魅様が女 王になる前よりは、津名魅様の事を認めるようになってきてて、なんだか“し ょうがないわね!”ってカンジなんだ」 「そっか………」 あれだけこだわってた割には、案外気持ちの切り替えが速い人だな、と魎皇鬼 は納得した。 「それよりも、魎皇鬼、お前、いいのかい?そばにいなくても?」 いきなり核心を突く話の展開であった。 「津名魅様から許可はもらってるんだろ?どうしてここにいるんだ?」 「い、いいじゃないか。どこにいたってボクの勝手だろ」 魎皇鬼は、突破口を開こうと懸命だった。 「だって、お前、砂沙美ちゃんのこと、好きなんだろ!?だったら、なんでい っしょにいてあげないんだ!!ボクも時々魔法スクリーンで見てるけど、砂沙 美ちゃん、とってもさみしそうだったぞ!」 砂沙美の名前が出た瞬間、魎皇鬼の感情が爆発した。 「お前にいわれれる筋合いじゃない!!」 「なにおう!?」 二人はその場でにらみ合いになった。 静まり返った回廊の真ん中で、先に口を開いたのは留魅耶だった。 「魎皇鬼。ボクは、美紗緒が寂しがってるとき、そばにいても何にもしてあげ られなかった。美紗緒をミサに変身させる都合があったからね。でも、今は、 美紗緒と話す事ができるようになった。美紗緒が寂しいとき、そばにいてあげ られる。そばにいて、励ます事だってできるようになった。今日だって、ホン トはここに来たくなかったんだけど、しかたない用事があってそれできただけ なんだ。 でも、お前は、いつだって砂沙美ちゃんのそばにいられるのに、どう してここにいるんだ!?」 一気に捲し立てられて、魎皇鬼はたじろいだ。 「そ、それは……」 言うべきかどうか、魎皇鬼は判断に迷った。 さらに留魅耶は続ける。 「ボクが美紗緒のそばにいたいのは、もちろん美紗緒が好きだからだけど、美 紗緒への償いでもあるんだ。姉さんが恐いからっていうだけで、美紗緒をミサ に変身させて砂沙美ちゃんと戦わせてしまった。美紗緒は、ミサになったおか げで強くなれたって言ってくれたけど、あの子はやさしい子だからね。でも、 今でもきっと苦しんでる。もしかしたら、ボクの顔なんか見たくないかもしれ ない。でもね、それでもね、ボクは美紗緒のそばにいたい。いなくちゃいけな いんだ。どんな形ででも」 「それは、ボクも同じ事さ」 沈黙していた魎皇鬼が、ようやく口を開いた。 「えっ?」 魎皇鬼の意外な回答に、留魅耶は思わず聞き返していた。 「ボクもお前と同じさ。ボクも砂沙美ちゃんが大好きだ。それと同じくらい、 ボクも砂沙美ちゃんに償ってあげなくちゃいけないんだ」 今度は留魅耶が沈黙する番だった。 「砂沙美ちゃんがサミーとして戦っている間、ボクは何もできなかった。いろ いろと口添えはしたけど、ボク自身が砂沙美ちゃんに何かしてあげたわけじゃ ない。砂沙美ちゃんが悩んだり、苦しんでいたりしても、そばにいるっていう のに、ボクは砂沙美ちゃんに何一つしてあげられなかったんだ」 魎皇鬼は、いったん話を切って、留魅耶の反応を待った。 留魅耶を見ると、彼は、魎皇鬼の目をじっと見つめて続きを促していた。 「もう、あんなもどかしい思いはしたくない。砂沙美ちゃんが助けを必要と するとき、砂沙美ちゃんを支えてあげたい。言葉でなく、ボクのこの手を、砂 沙美ちゃんに添えてあげたい。だから、今、ボクはここにいる。これじゃダメ かな?理由になってないかな?」 留魅耶は、じっと魎皇鬼を見ていた。 やがて、ふっと一呼吸するとすべてを納得したような表情で言った。 「やっぱり、やるのか、アレを。ボクは、もともと魔力の強い家系に生まれた から、普通の人がやる事の大半を飛ばしてこれた。だから、どれほど苦しいの かしらない。でも、無理だと思ったらすぐに止めるんだぞ。お前はボクと違っ て、もともと強い魔力の血筋を引いているわけじゃないんだから」 そして、留魅耶は魎皇鬼の前をどき、道を開けた。元々広い回廊だから、わざ わざそんなことをしなくとも、十分魎皇鬼が通る道はあるのだが、そうするこ とが、これから大いなる試練を迎えようとしている魎皇鬼に対する礼儀だと思 ったのだ。 「大丈夫。必ず魔素凝結の術を身につけてみせる。お前にできて、ボクにでき ないわけはないからね。」 留魅耶の脇を通り際、魎皇鬼は微笑みながら答えた。 「うまくやれよ」 文句を言うでもなく、留魅耶はそう言うと、そのまま裸魅亜が待つであろう外 交官室へ向って行った。 しばらくその後ろ姿を見ていた魎皇鬼だったが、決意を新たにすると、「改め の泉」へ歩き出した。 「改めの泉」で身を清めた魎皇鬼は、女王の間で待つ津名魅に、準備ができた 事を報告した。 「分かりました。それでは、よろしいですね?魎皇鬼」 静かに、そして普段の津名魅からは想像もできない、張り詰めた表情で、津名 魅は魎皇鬼を見つめた。 「いつでもどうぞ、津名魅様」 そうは言ったものの、心中穏やかならざる魎皇鬼である。 額にはうっすらと汗が浮かび、両手はしっかりと握り締められていた。 「では、始めます」 津名魅のその一声によって、魎皇鬼の周囲の空間が一気に歪み出した。 実際には、物理的に空間が歪んだのではなく、そのように魎皇鬼には見えただ けであった。 修行の場となる、魎皇鬼自身の精神世界へと、魎皇鬼が沈んでいったのである。 「砂沙美ちゃん………」 魎皇鬼は、もう一度、砂沙美の笑顔を思い浮かべた。 その瞬間、彼は恐怖した。 もう戻れないかもしれない。 このまま精神世界に取り込まれて、廃人になってしまうかもしれない。 砂沙美に会えなくなってしまうかもしれない。 しかし、それでも魎皇鬼は止めようとは思わず、それどころか、理由はよく分 からないが、必ずうまくいくと感じていた。 なんとなく、「なんとかなるよ」という類のものだったが、それはほぼ確信で もあった。そして、魎皇鬼は完全に精神世界へと降りていった。