「ええ―――っ、か、火星―――っ??」 二人は、一緒になって叫んだ。 でも、なんとなく二人とも嬉しそうに見えたりする。 表情で言うと、「マユゲは八の字に下がっていて困ったちゃん状態だけど、 目は笑っている」といったところだろうか。 魎ちゃんがまた来てくれた! ルー君がまた来てくれた! そのことのほうが、とても大切だった。 2人とも、お互いのパートナーがはるか遠いジュライヘルムから、あの時の 約束を守ってやってきてくれたことのほうが、何百倍もうれしかったのだ。 で。プリティーサミーが実は砂沙美だった、とか、実はんなこたバレバレっ すよアニキってなぐあいで、いまさら隠しても仕方がないので、みんなの前 で変身して、ジョニー(銀次パパね)が出てきて、一気に火星まで、人類初 の有人飛行を達成した挙げ句、露美御を改心させて無事宇宙からの帰還を果 たした、なんてことがあった。 そして。 鷲羽の自家製ロケットが、なんとか地球に帰ってきて、海の星小学校の校庭 に「難」着陸したあと。 普段は元気丸出しの、赤みがかった瞳と淡いブルーの長いおさげが可愛らし い少女、河合砂沙美が、今にも泣きそうな顔をして、校庭の隅っこで、何か を抱きしめたままで立っていた。 澄んだ淡いブルーの、長いおさげが春風に舞う。そのようすは、そのまま春 風に乗って空を飛んでいってしまいそうな、そんな浮遊感があった。 その正面には、魔法世界ジュライヘルムの住人で、今はやむなく、猫だかう さぎだかよく分からないビースト形態になっている魎皇鬼が、同じく泣きそ うな顔をして、砂沙美の胸に抱きしめられたままの格好で、砂沙美の、赤み がかった大きくてきれいな、そして涙が今にもあふれ出そうになって潤んで いる瞳を見つめていた。 「ごめん。砂沙美ちゃん。今回は緊急の事件だったから、くることになった だけなんだ。だから、もう、行くね」 魎皇鬼はすまなさそうにそう言うと、パッと表情を切り替えて、極上の笑顔 を砂沙美に向けた。 「ホラ、元気出して、砂沙美ちゃん。また、必ず、地球にくるよ。ホントだ よ、約束する」 「こないだもそう言ったじゃないかあ……」 砂沙美は、こぼれ落ちる涙にかまわず、目を硬く閉じ、魎皇鬼をぎゅっと抱 きしめた。 こぼれ落ちた涙が、砂沙美の頬を伝って、魎皇鬼の額の宝玉の上に、頬に、 しずくとなって降った。 春の風が、さああっと、砂沙美の長いおさげをなでる。 砂沙美の背後から吹いてきたその風は、砂沙美のおさげを前方に流すと、砂 沙美と魎皇鬼を包み込むかのように、くるりと内側にカールした。 まるで、春風までもが、砂沙美の気持ちを代弁しているかのようだった。 その2人を、きれいな黒髪を背中までおろした、クオーターの証拠である、 美しいエメラルドグリーンの瞳をした、美しい少女、天野美紗緒が、留魅耶 を肩に乗せたままで、2人から少し離れたところから黙って見つめていた。 美紗緒には、砂沙美の気持ちが痛いくらいに分かりすぎていた。春風が、砂 沙美の気持ちを美紗緒のところまで運んできたかのように、敏感に砂沙美の 気持ちを感じ取っていた。 「砂沙美ちゃん……」 今すぐにでも、砂沙美の側に駆け寄って、砂沙美を元気づけてあげたい衝動 に駆られた。 自分には、美紗緒には、その気持ち、分かるよ。 大好きな人がそばにいてくれないって、今までそばにいてくれた人が、自分 から離れてしまうって、とってもとっても寂しいよ。 でも、でもね、きっと、帰ってきてくれる。パパも、ルー君も、帰ってきて くれた。 魎皇鬼ちゃんだって、きっと……。 そう言ってあげたかった。 しかし、美紗緒は、砂沙美のところへ駆け寄ることに躊躇した。 今の2人の間に、自分の入っていく余裕はないように思えたからだ。 「ずるいよお……、そんなのってずるいよお……」 砂沙美は、今の自分の気持ちのすべてをこの言葉に乗せた。 砂沙美をこんな気持ちにさせといて、それで任務が終わったから帰るなんて、 ずるいよお……。魎ちゃんともっとずっと一緒にいたいのに、これからもず っと一緒だと思ってたのに。魎ちゃんが大好きなのに!! ジュライヘルムでのときは、まだ我慢できた。地球とジュライが元どおりの 関係になれば、魎皇鬼に会えるという希望を持っていられたから。ほんの少 しだけ会えないだけだと思っていたから。この次魎皇鬼と会えれば、今度こ そずっと一緒にいられる、そう思っていたから、耐えられた。 しかし、今回は違う。 ジュライ人が、ジュライヘルムと地球とを、それなりに制限があるものの (魔素が少ない地球では、裸魅亜などの強い魔力の持ち主以外のジュライ人 は、ビースト形態でないと姿をとどめておけないなど)自由に行き来するこ とができるようになった今、魎皇鬼がジュライヘルムに帰らなければならな い理由はないはずであった。 だが、それでも、魎皇鬼はジュライヘルムに帰るという。 このことは、もう2度と魎皇鬼に会えないかもしれないという危機感を、砂 沙美に抱かせた。 だから、砂沙美は必死だった。この胸の中にいる魎皇鬼を、絶対に離したく なかった。何ヶ月も待って、ようやく会えたのに、どんなに今日を待ってた か、魎ちゃんだって分かってるはずなのに。 砂沙美の胸の中で抱かれながら、魎皇鬼も同じことを思っていた。 しかし、魎皇鬼には、どうしても一度ジュライヘルムに帰る必要があった。 ジュライヘルムでなければできないことを、しなければならないからだった。 涙がとめどなく流れ落ちていく砂沙美の目を、正面から見つめて、魎皇鬼は 改めて言った。 「僕は、必ず帰ってくるよ。絶対、今度こそ、次に砂沙美ちゃんに会ったら、 もう離れることなんかしないよ、約束する」 その魎皇鬼の言葉を聞いた砂沙美は、頬をまだ涙でぬらしながら、魎皇鬼に たずねた。 「ホントに?ホントのホント?」 その砂沙美の声が若干明るくなってきたのを、魎皇鬼は聞き逃さず、その明 るさに答えて、再び極上の笑顔を砂沙美に向けて力強く言った。 「もちろんだよ!必ず、また来るよ!」 その魎皇鬼の返答に、砂沙美の顔に赤味が差し、とても可愛らしい笑顔が、 まだ涙でぬれていた顔に浮かんだ。 「そうだよね、また来てくれるよね?だって、今だって、あの時の約束どお り、ちゃんと砂沙美のところに来てくれたんだもんね、今度だって、来てく れるよね?」 魎皇鬼は、その砂沙美を見て、素直に可愛いと思った。宇宙の中で、どこを 探しても2つとないその可愛らしい笑顔を、魎皇鬼は、絶対に悲しみに曇ら せたくないと思った。そして、魎皇鬼は、ありったけの元気を砂沙美に分け てあげたい気持ちで、自分でも驚くくらいの大きな声で、 「うん!」 と砂沙美の問いに答えた。 「じゃ、約束。っても、今の魎ちゃんじゃ、ゆびきりできないね………。 そだ、魎ちゃん、ちょっと目、つぶって」 魎皇鬼は、砂沙美の言う通りに、目をつぶった。そして、一瞬、砂沙美の小 さく息を吸いこむ音が聞こえたかと思った瞬間。 ちゅっ。 砂沙美は、魎皇鬼の額の宝玉に軽くキスをした。 「砂沙美ちゃん………」 魎皇鬼が目を開けると、そこには、頬を赤らめた砂沙美の笑顔があった。 恥じらい、喜び、うれしさ、やるせなさ、すべてが詰まっていた。 以前、魎皇鬼は何度か砂沙美にキスをされたことがあったが、今のキスは、 そのどれにも増して、暖かく、やさしく、強く、そして、何よりも大切に思えた。 「おまじない。今度魎ちゃんに会ったら、今度こそずっと一緒にいられます ように、って、ね?」 そう言って、砂沙美はお得意のウインクを、魎皇鬼にしてみせた。左目をパ チリと閉じ、少し小首をかしげたそのポーズは、魎皇鬼ならずとも、心を動 かされるような可愛らしさだった。 そして、魎皇鬼は、心動かされるままに思わず叫んでいた。 「ボク、必ず戻ってくるよ!絶対、絶対、砂沙美ちゃんのところへ戻ってく る!だから、待ってて。砂沙美ちゃん。」 突然魎皇鬼が声を大きくしてそう言いきったので、砂沙美は少し驚いたが、 魎皇鬼の金色に輝く瞳をじっと覗き込んで、冗談めかして答えた。 「ちゃんと帰ってこないと、大好きなキャロットケーキ、作ってあげないからね?」 「ミャア!ミャア!」 魎皇鬼が本当に困ったような顔をしたので、砂沙美は思わす吹き出した。 それにつられて、というべきか、そうなることを予想して、困ったような表 情をしたのか、ともかく、魎皇鬼も砂沙美といっしょになって笑い出した。 「あははははは………」 「みゃはははは………」 いっしょになって笑いながら、元気を少し取り戻した砂沙美を見つめて、魎 皇鬼は改めて、砂沙美は笑っている顔が最高に可愛いと確信した。そして、 その最高の笑顔を胸に抱きかかえられたままで見つめるしかない、今の自分 に、軽い苛立ちを覚えていた。 ボクも、砂沙美ちゃんと同じ視線で、砂沙美ちゃんを見つめていたい。 砂沙美ちゃんと同じ高さで、いっしょの景色を見たい。 それには、どうしてもジュライヘルムに帰らなければ!!ジュライヘルムで ないとできないんだ!! その思いが、魎皇鬼に、別れの言葉を言わせることになった。 意を決して、ゆっくりと魎皇鬼は深呼吸をすると、砂沙美を、まるで網膜の 隅々までに焼き付けるかのように、真っ直ぐにみつめた。 そして。 「砂沙美ちゃん、そろそろ行くね」 「えっ………」 砂沙美は、一瞬悲しみに表情を曇らせたが、すぐに笑顔に戻ると、最高の笑 顔を魎皇鬼に向けて答えた。 「うん!砂沙美、待ってるから、ずっとずっと、待ってるからね!」 その砂沙美の言葉を待っていたかのように、2人の目の前の空間に、ぽっか りと魔法のゲートが開いた。 そのゲートの向こう側は月。そしてジュライヘルムがあった。 「じゃ、砂沙美ちゃん、きっと、またね」 身体半分、ゲートに沈めかけた魎皇鬼は、最後の言葉を砂沙美に投げかけた。 「うん、またね」 泣きたいのを必死にこらえて、今できるだけの精一杯の笑顔を、魎皇鬼に向 けて、砂沙美も答えた。 そして、魎皇鬼がゲートに完全に沈み込み、ゲートそのものが空間から消え てなくなるまで、砂沙美はその場を動かなかった。 「また、会おうね」 砂沙美は、月があるであろう方向を仰ぎ見、そうつぶやいた。 ところどころにぽっかりと雲を浮かべた3月の青空は、暖かく、やさしく、 慰めてくれるかのように砂沙美を包んでくれた。 太陽は、砂沙美を元気づけてくれるかのように、力強く輝いていた。 そして、春風は、砂沙美の悲しみを拭い去ってくれるかのように、やさしく 背中をなでた。 後ろから、誰かが近づいてくる足音が聞こえてきたが、砂沙美は、それが美 紗緒であることに気がつくのにかなりの時間がかかった。砂沙美の視界には、 魎皇鬼の最後の姿しか映っておらず、砂沙美の聴覚は、魎皇鬼との会話で埋 め尽くされていたのだった。 「砂沙美ちゃん………」 美紗緒が心配そうに砂沙美の側によって、横から砂沙美の顔を覗きこんだ。 砂沙美は、魎皇鬼が帰っていった後も、ずっと空を見上げたままだった。 「砂沙美ちゃん…………」 美紗緒は、もう一度砂沙美に呼びかけた。 「美紗緒ちゃん……?」 砂沙美は、美紗緒が自分に声をかけてくれていることに、ようやく気がついた。 ゆるりと力なく美紗緒のほうを振り向いた砂沙美は、元気よく答えようと笑 顔になろうとした。しかし、どうしてもできなかった。 美紗緒に振り向いた砂沙美は、そのままの表情で、せめて平静さを装おうとした。 「美紗緒ちゃん……、魎ちゃん、帰っちゃった……。でも、また戻ってきて くれるって、約束してくれたの。だから、砂沙美平気だよ。平気、だ、から ……し、んぱ、い……」 とぎれとぎれになった砂沙美の返事は、最後には聞こえなくなった。 砂沙美の表情が一気に歪む。瞬くのをやめ、涙がこぼれないようにしている。 涙を流すまいと必死にこらえているのが、はたから見ていても十分分かる。 しかし。 とどまりきれなくなった大粒の涙が、砂沙美の頬を伝わり始める。 一度流れ始めた涙は、とどまることを知らない。 溢れ出した涙は、砂沙美の感情までも一気に溢れ出させた。 美紗緒にすがりたい思いでいっぱいになった砂沙美は、ためらいなく美紗緒 の胸の中に飛び込んだ。 「魎ちゃん、魎ちゃん、魎ちゃ――――――んんっ、うっ、ひっく、えっえっ……」 砂沙美は、美紗緒に抱かれる格好になって、その胸の中で思いっきり泣いた。 美紗緒が、こんな風に砂沙美を受け止めたのは、2度目だった。 しかし、あの時は、何と言ってよいのか分からず、また、何か言って余計に 砂沙美を悲しませたくなかった思いもあって、何も言えなかった。 いや、実際には、砂沙美を元気づけることはできた。だが、あの時の美紗緒 は、砂沙美が自分を捨てて、天地さんとだけいっしょにいるようになってし まうことはもうないという安心感のほうが強く、そんな気持ちで砂沙美を元 気づけることが、とても罪深いことのように思えて、何も言えずに砂沙美を 抱き留めることしかできなかったのだった。 もう、あんな邪推を、今の美紗緒は絶対にすることはない。 砂沙美を心の底から信じているから! 友達だから!! 砂沙美を抱き留めた美紗緒は、そのまま左手を砂沙美の頭に、右手を背中に 回して、砂沙美をしっかりと抱きしめた。 砂沙美は、美紗緒の胸の温かさを体中で感じながら、感情の赴くまま泣いた。 今まで、こんなに切なく、悲しい思いをしたことがない砂沙美にとって、ど うしたら涙が止まるのか、分からなかった。だから、疲れるほど泣いた。 砂沙美の泣き止むのを待って、美紗緒は、ゆっくりと、やさしく砂沙美を自 分の胸から引き起こし、ニコっと、微笑んだ。 そして、美紗緒は、両手で小さなグーを胸元に作って、砂沙美の目をしっか り見つめて言った。 「魎皇鬼ちゃん、きっと帰ってくるよ。大丈夫!」 美紗緒は、唐突に宣言した。 もちろん、根拠などない。 しかし、沈んでいる砂沙美を見るのは、美紗緒には耐えられないのだった。 今まで、たくさんの温かさとやさしさを、惜しみなく分けてくれた砂沙美。 心の闇から、自分を救ってくれた砂沙美。 その闇を受け入れる勇気をくれた砂沙美。 いっしょにいるだけで、元気を分けてくれる砂沙美。 いろんなものを、美紗緒は砂沙美からもらってきた。 今、こうして砂沙美を元気づけることができるのも、砂沙美が自分を変えてくれたから。 だから、美紗緒は、何としても、砂沙美を悲しませたくなかった。元気になってほしかった。 だって、美紗緒も、砂沙美ちゃんの笑顔が大好きだもん!! 美紗緒は、今持ち合わせるだけの精一杯の元気を出して、再びニッコリと微 笑むと、魔法少女の決めポーズで、 「美紗緒におまかせ!ね?」 と砂沙美に向ってウインクさえしてみせた。 やってから恥ずかしくなったのか、とたんに顔を真っ赤に染めた美紗緒を見 て、砂沙美は、急にまた、涙があふれてくるのを止めることができなかった。 「ど、どうしたの?砂沙美ちゃん?私何か悪いこと言っちゃった?」 砂沙美が急に涙を流し始めたものだから、美紗緒は慌てた。 だが、砂沙美は泣きながら笑って、そして心底うれしそうに答えた。 「ううん、違うの。違うの、美紗緒ちゃん。砂沙美、美紗緒ちゃんと友達で よかったなって、そう思ったら、なんだか急にうれしくなっちゃって、それ で涙が出てきちゃったの」 「砂沙美ちゃん……」 美紗緒は、その砂沙美の言葉を聞いて、砂沙美の友達が自分でよかったと、 心から感激した。自分の言葉を、理解するのではなく、心で受け止め、そし て感じてくれる砂沙美が、とてもいとおしく感じた。 美紗緒は、自分までもらい泣きしてしまいそうになったが、ここでいっしょ に泣いてしまうわけにはいかなかった。 私は、砂沙美ちゃんを元気づけてあげなくちゃいけないんだから! 今は、だめ。泣いてはだめ。だめったら、だめ!! 美紗緒は自分自身にそう言い聞かせ、どうにか涙をこらえることができた。 しかし、そう長くは持ちこたえられそうになかったので、気分を変えようと、 とりあえず校庭から出ようと考えた。 とびきりの笑顔で、美紗緒は、砂沙美に提案した。 「砂沙美ちゃん、今日ね、あたしね、塾も、おけいこもないの!だから、一 緒に遊ぼ!!ねっ?砂沙美ちゃん?」 「美紗緒ちゃん……」 美紗緒が一生懸命自分を励まそうとしているのが、たまらなくうれしく、そ して、いつまでも悲しんでいられない、という思いがムクムクと湧きあがってきた。 「う、うんっ!もっちろん!遊びのことなら砂沙美におまかせ!!」 まだ涙でぬれてはいたが、その笑顔はいつも美紗緒が見慣れている、そして 美紗緒の大好きな、元気いっぱいの砂沙美の笑顔だった。 「じゃ、行こっ!美紗緒ちゃん!」 「うんっ!砂沙美ちゃん!」 二人は、仲良く、そしてしっかりと手をつないで、思いっきり地面を蹴って走り出した。 ちょっと強めの春風が、二人を後押しするかのように、背中から吹いて、二人を追い越していった。