サミーは、美紗緒の前にふわりと降り立つと、宝玉のようなきれいな赤い瞳を、灰色 のサミーに向けた。 そこには、敵意も同情もない。 ただひたすら、静かな輝きをたたえたその瞳は、まっすぐに灰色のサミーを見つめて いた。 それまで、何かに取り憑かれたかのように暴れていた灰色のサミーは、視界にサミー を捕らえると、ぴたりと暴れるのを止めた。 しかし、それとは反対に、灰色のサミーの周囲の空間はどんどん黒い闇に覆われてい った。 そして、それがサミーと美紗緒のところまで及ぼうかというとき、いきなりその闇は、 灰色のサミーの胸の中心に向かって収縮し、まるで闇を握り締めるかのように、灰色 のサミーは、バトンを捨て、両手でその黒い塊を包み込んだ。 握り込んだ指の隙間からあふれる黒い闇は、瘴気のようなものを発しながら圧縮され、 灰色のサミーが、その手を開くと、巨大な黒い刃のような形をしたものが現れた。 真っ黒な刃。 何者の進入をも拒む、深く、激しい闇。 それでいて、すべてを無理矢理飲み込んでしまいそうな、強力な吸引力を宿した闇。 怒り。 嫉妬。 悲しみ。 羨望。 そして、絶望。 そのすべてを飲み込んだかのように、その漆黒の刃は、うなりを上げて灰色のサミー の手の中で踊る。 「美紗緒ちゃん、下がってて」 サミーは、美紗緒にそう言うと、灰色のサミーに向かって歩き出した。 一歩、また一歩。 美紗緒がそうしたように、サミーは、漆黒の刃を構えた灰色のサミーに向かって歩い ていた。 「消えちゃえ!」 言うが早いか、灰色のサミーは、漆黒の刃を大きく振りかざし、サミーに向かって一 閃した。 空間をも揺るがす強大な力が、サミーに向かって走る。 それがサミーに当たる寸前、サミーはふっと身をかわして平然と歩きつづける。 「アンタなんか!アンタなんかがいるから!」 また、灰色のサミーは、刃を振るう。 そのたびに、地はえぐれ、空気が揺れ、あちこちに破壊の爪痕を残していった。 しかし、サミーは歩みを止めないどころか、着実にその距離を縮めていった。 二人の距離が縮まるにつれて、灰色のサミーの攻撃は激しくなるが、まるで意に介 さないサミーは、右へ左へとひたすらその攻撃をかわしつづけた。 「どうしたっていうの…?あの慌てぶり……?攻撃してるっていうより、恐がってる だけにしか見えないわ…………」 裸魅亜は、二人のサミーの様子を見て、先ほどとは異なる雰囲気を、灰色のサミーか ら感じ取っていた。 裸魅亜を攻撃したときの、一瞬の躊躇。 美紗緒を見たときの、激烈な感情の発現。 そして今、正反対の自分を目の前にした灰色のサミーは、裸魅亜には、母親にしから れることを恐れている子供のように見えたのだった。 そして。 サミーは、灰色のサミーとあと10メートルほどの距離にまで迫っていた。 「アンタがいるから、アタシが、アタシが………!!」 もはや灰色のサミーは泣き顔を隠そうともしなかった。 悔しさの涙でいっぱいにしたその目を、サミーにぴたりとむけたまま、灰色のサミー は、最後の一撃とばかりに、上段から刃を思い切り振り下ろした。 そのはずみで、たまった涙がはらりと散った。 攻撃とは裏腹の感情が、そこにはあった。 渾身のその一撃は、それまでのものよりもはるかに強く、大きな力の塊となって、サ ミーに向かって地を走った。 しかし、サミーは、静かにたたずみうつむいたまま、今度は避けようともしなかった。 「砂沙美ちゃん!!」 美紗緒と魎皇鬼は、同時に叫んだ。 その声が届くその間際。 サミーは黒い塊に包まれ、そのまま見えなくなってしまうかに見えた。 黒い塊は、サミーを包み込んで一瞬大きく膨らんだかと思うと、次の瞬間はじけて消 えてしまった。 そして、顔を上げたサミーは大きく跳躍すると、それまでとはまるで反対に一気に距 離を詰め、灰色のサミーの眼前に姿を現した。 灰色のサミーが次の攻撃の構えをする間もなかった。 サミーは、自分を灰色のサミーの直前にさらし、大きく両手を広げて、慈愛に満ちた 表情で灰色のサミーを抱きしめた。 「!」 灰色のサミーを含め、その場にいたすべての者が、自分の目を疑った。 サミーは、ぎゅうっと力いっぱい、しかしやさしく、灰色のサミーを抱きしめた。 何か、暖かいものが、灰色のサミーの中に流れ込んでくる。 「もう、いいの………………」 灰色のサミーの耳元で、サミーがつぶやく。 「あなたは、砂沙美………。そして、ここであなたといっしょにいるのも砂沙美……。 ね……?」 コウッ!! 二人の足元から、光の柱が伸びてきたかと思うと、二人をそのまま包み込んで、そこ から消えた。 「なっ……!なに!?」 「なんだ!?」 「どうしちゃったの!?」 「なんなんだ、あれ……」 裸魅亜が、留魅耶が、美紗緒が、そして魎皇鬼が、目の前で起こったことが信じられ なかった。 しかし、彼らにはもうどうすることもできない。 二人のサミーが消えてしまった場所を、呆然として見つめるしかなかった。 フッ………………。 音もなく、光に包まれた二人のサミーは別の場所に現れた。 サミーが、灰色のサミーを抱きしめたままの格好であった。 周りには、なにもない。 正確に言えば、そこには「何か」がある。 しかし、それがなんであるかを明確に判断することはできない。 二人は、ひとつの塊となったまま、その空間に姿を現したのだった。 二人を包んでいた光が消え、お互いが目で認識できるようになると、灰色のサミーは、 ぱっとサミーを押しのけて、サミーとの距離をとった。 「なぜ!?」 灰色のサミーは、まだその手の中で踊る漆黒の刃を揺らめかせながら、サミーに質問 した。 「どうしてそこまでして、いい子ちゃんでいようとするの?つらくないの?嫌いだっ て、思ったことないの!?」 空間にたたずんだまま、サミーは、ふっと目を開けた。 しかし黙ったまま。 静かに灰色のサミーの言うことを聞いていた。 「何とか言いなよ!アンタだって、美紗緒のことイヤだって思ったでしょ!?だから、 アタシがここにいるのよ!?」 「…………うん、思ったよ………。だって、うらやましかったのはホントのことだし ……。でもね、美紗緒ちゃんだってそういうことがあったと思う。でないと、美紗緒 ちゃんがピクシィミサになんかなるわけないもん」 サミーは、ゆっくりと、自分の言葉をかみしめるように話し出した。 「美紗緒ちゃんは、ミサを、もう一人の私って言ってた………。あなたも、きっとそ うなんだよね…………。砂沙美も知らない、もう一人の砂沙美…」 灰色のサミーは、言葉が出なかった。 自らの存在を支える負の感情が、徐々に消えていくのを感じていた。 「砂沙美は、ミサみたいにならないって、思ってた……。でも、あなたが砂沙美の中 にいた…………。ずっと、ずっと、知らなかったよ………。ごめんね、気づいてあげ られなくて…………」 サミーは、心底申し訳なさそうに、灰色のサミーに向かってわびた。 もしかしたら、自分に対する懺悔だったのかもしれない。 「やめろおおおおおおおっ!!!!」 灰色のサミーは、激しい雄叫びを上げた。 一瞬、手の中の漆黒の刃が、ぐわっと大きくなり、激しく揺らめいた。 「アタシは、アンタも、美紗緒も大っきらいなんだ!!それなのに、それなのに…… ……!」 どうして、アタシを受け入れようとするの? アタシが嫌いじゃないの?? アタシのこと、好き? いっしょにいてくれるの? 魎ちゃんといっしょにいていいの? アタシも、魎ちゃんと、みんなといっしょにいたい! 大っきらいなアンタと、美紗緒と、みんなと、いっしょにいたい!! ふわりと、空間をよぎって、サミーは灰色のサミーのところへ飛んだ。 「大丈夫…………!」 そして、再び、灰色のサミーを抱きしめた。 やさしく、どこまでもやさしく、サミーは灰色のサミーを抱きしめた。 暖かい光が、二人を包む。 「もう、帰ろう………。みんな待っててくれるよ………。美紗緒ちゃんも、魎ちゃん も、みんな、あなたと砂沙美が帰ってくるのを、きっと待っててくれてる……………。 ね………?帰ろ………?いっしょに…………!」 「……………うん……」 灰色のサミーは、小さく、しかし、しっかりと答えた。 灰色のサミーの存在をそれまで支えてきた、負の感情が、凍てついた氷山が溶けるが ごとく、ゆっくりと、そして確実に消えていくのを、彼女は感じていた。 それは、彼女自身の実体が消えてなくなることを示していた。 しかし、灰色のサミーは何も恐くなかった。 むしろ、気持ちよくさえ感じていた。 今や、手のひらに揺らめいていた漆黒の刃は、もうない。 灰色のサミーの姿が次第に薄くなってきた。 まだ、実体としての姿を保ってはいるものの、向こう側が透けているのが見て取れた。 「アタシ、消えちゃうの…………?」 灰色のサミーは、やはり不安を隠しきれずに、サミーに問い掛けた。 サミーは、にこっと微笑むと、彼女をしっかりと抱きしめ直して、こう答えた。 「ううん、消えるんじゃないの……。これからずっといっしょだよ……。今までは、 砂沙美が気づかなかっただけ……。これからは、ずっといっしょ…!」 抱きしめていた感覚までもが、薄らいできた。 もう、灰色のサミーは、その姿の影だけをとどめていた。 「ずっと、いっしょ………………!」 その姿が薄らいでいく中、灰色のサミーは、出現してから今まで、一度も見せたこと のない、可愛らしい笑顔を見せた。 それは、まさしく、砂沙美の笑顔だった。 普段の、明るい、元気な砂沙美の笑顔だった。 ついに、灰色のサミーの感触が消えた。 灰色のサミーを抱きしめていたサミーの両腕は、するりと彼女の身体をすり抜け、そ れはサミー自身を抱きしめた。 「ずっと、いっしょだよ……………」 サミーは、目を閉じ、いまだ彼女の感触が残る両腕で、自分自身をしっかり抱きしめ た。 その直後、灰色のサミーは、完全に姿を消した。 一筋、サミーの頬を伝って、美しい流れができていた。 それは、悲しみではない。 哀れみでもない。 それは、サミーではない、砂沙美自身の、心の証明。 楽しいこと、うれしいこと、いやなこと、悲しいこと、すべてを抱えきることはでき ない。 しかし、それらがあるから、もっと自分を見ようと思う。 楽しくて笑ったり、うれしくて抱き合ったり、いやになって落ち込んだり、悲しくて 泣いてしまったり、そんなことがあるから、違う自分が見えてくる。 それをよく見、いとおしく思うことが、大事なんだと砂沙美は思った。 砂沙美は、自分の中に、今までの自分とはまったく正反対の自分の姿を見た。 平気で他人を魔法で吹き飛ばしたり、美紗緒が大嫌いだったり、すべてが反対だった。 しかし、それも砂沙美。 今、ここにいるのも砂沙美。 みんなみんな砂沙美自身。 そう思ったとき、砂沙美は、自分のことを初めて知ったような気がした。 そして、一筋、涙が流れた。 それは、感動かもしれない。 感謝かもしれない。 祈りかもしれない。 ただ、その涙に乗って、暖かい何かが、砂沙美の中からほとばしるのが分かるのだっ た。 カッ!!! サミーの周囲の空間が、太陽のごとく輝き、サミーは、自分自身を抱きしめたまま、 魎皇鬼たちの眼前に姿を現した。 そして、魎皇鬼たちが駆け寄ると、サミーは真の魔法少女の衣装から、いつもの振り 袖にミニスカートの姿になり、最後には普段着の砂沙美が現れた。 「砂沙美ちゃん、砂沙美ちゃん!!」 魎皇鬼が、美紗緒が、そしてその後ろから、留魅耶が、最後に裸魅亜が、砂沙美のも とに駆け寄ってきた。 ふっと、砂沙美は、静かに目を開ける。 自分自身を抱きしめていたその両腕を、ゆっくりと自分からはずす。 そして、砂沙美は、満面に笑みを浮かべて、元気よくみんなに答えた。 「…………ただいま!」 その数日後。 砂沙美は、一人、海の星小学校の校庭にいた。 いや、正確には一人ではない。 砂沙美の周りには、美紗緒と留魅耶、裸魅亜姉弟が、そろって待機していた。 しかし、砂沙美から見えるところにいるのではない。 校庭の植え込みに隠れて砂沙美を見ているのだ。 「……………遅い!何やってんだ、あいつ…………!」 「もったいぶってんじゃないの?」 「………………姉さん、いつまで地球にいるのさ?早く帰らないと、津名魅さんだけ じゃ、今ごろ大変なんじゃないの??」 後ろから声がしたので、美紗緒と留魅耶が振り向くと、同じようにしゃがみこんでい る裸魅亜がいた。 「あら、留魅耶ちゃん、ずいぶんおナマな口きくようになったじゃない??」 そういうと、裸魅亜は、鳥の姿になって美紗緒の肩に止まっている留魅耶をわしっと 掴み、にこっと微笑んで、その手の握力を強めた。 「く………苦しいよ、姉さん…………。死んじゃうってば………」 美紗緒は、この姉弟のやり取りにはもう慣れてしまったので、にこにこしながら見つ めているだけだった。 そして、美紗緒が、再び視線を校庭に戻すと、砂沙美のすぐ前の空間がぽっかりと開 き、そこから誰かが出てくるのが見えた。 「あ…………!来た!」 「えっ?」 「どれどれ?」 3人は、植え込みからその光景をじっと見つめた。 砂沙美は、放課後のため、海の星小学校の制服を着たままで、校庭にたたずんでいた。 その胸元には、20センチ四方の白い箱が抱えられていた。 今日、すべての事を終えて、魎皇鬼が帰ってくる。 これから、ずっといっしょにいてくれる、大好きな魎皇鬼が。 そう思うと、自然に笑みがこぼれてくるのを押さえられなかった。 ふっと、突然、砂沙美の前の空間に、ぽっかりと黒い穴が開き、そこから誰かの姿が 現れた。 茶と白に別れた、やや逆立った髪、金色に輝く瞳、そして、見慣れない衣装をまとっ た少年だった。 「……………砂沙美ちゃん」 その少年は、砂沙美の名を呼ぶと、心底安心したような表情で微笑み、ゆっくりと砂 沙美に近づいていった。 魎皇鬼だった。 あのあと。 魎皇鬼は、一度ジュライヘルムへ戻っていたのだった。 魎皇鬼が、砂沙美の前に立つと、砂沙美は、持っていた白い箱をすっと差し出した。 そして、可愛らしい花がそのつぼみを開き、自分の最高の姿を見せるがごとく、砂沙 美はにっこりと微笑み、魎皇鬼を迎えた。 「おかえり、魎ちゃん!はい、これ!」 「何?」 魎皇鬼は、砂沙美が差し出したその箱をまじまじと見て、質問した。 砂沙美は、にこにこしながら答えた。 「こないだ言ったじゃない?キャロットケーキ!いっしょに食べよ!」 「……………うん!……でも、ちょっと量が足りないみたいだよ?」 意外なことを言われた砂沙美は、箱と魎皇鬼を見て、不思議そうな顔をした。 「砂沙美、そんなくいしんぼじゃないよ?」 「違うよ、僕らのことじゃなくて、あそこにいるみんなのことだよ」 魎皇鬼は、笑いながら、校庭の隅の植え込みの方向をぴっと指差した。 「あそこ?」 魎皇鬼の指が指し示す方向を見ると、植え込みの中に何やら人影のようなものが見え る。 「…………なんか、ばれてるみたい。るーくん。どーする?」 砂沙美と魎皇鬼がこちらを向いているのを見た美紗緒は、どうも自分たちの存在に気 がつかれてしまったことを察知した。 ぜいぜいいいながら肩に止まっている留魅耶に向かって、相談する。 「仕方ない、出よっか」 「あたしは帰るわ。あんたたち、あとはよろしくね」 裸魅亜は、すっと後ろへ下がると、魔法ゲートを開いてさっとその中に飛び込むと、 ジュライヘルムへ帰っていった。 「やっぱり、津名魅が選んだだけのことはあるかな………。あの子が大きくなったら、 どうなるのかしら………?ふふっ………」 一瞬にしてたどり着いたジュライヘルムの王宮の、自分の部屋の魔法スクリーンを見 ながら、裸魅亜は、砂沙美と津名魅のことを改めて考えていた。 そのスクリーンの向こうでは、美紗緒が植え込みから立ちあがったところだった。 美紗緒は、植え込みから立ち上がると、照れくさそうに笑いながら砂沙美たちのほう へ歩いてきた。 「あ!美紗緒ちゃん!」 「ご、ごめんさない。砂沙美ちゃん。覗こうとしてたわけじゃないんだけど、気にな っちゃって………。ごめんね」 砂沙美は、くすっと笑うと、手に持っていた箱を美紗緒に見せた。 「じゃ、おわびに、キャロットケーキ作るの手伝ってくれる?みんなでいっしょに食 べよ!」 「うん!るーくんも手伝うよね?」 そう言って、肩に止まっている留魅耶を見た。 「僕も??」 「だって、心配だから見に行こうって言い出したの、るーくんでしょ?ちゃんと手伝 ってあげなくちゃダメじゃない?」 そう言われてしまうと、まして美紗緒に言われてしまうと何も言い返せない留魅耶で ある。 「分かった」 留魅耶は、美紗緒の肩から降り、ぱっと人間の形態に戻って美紗緒の横に並んでたっ た。 「よ~し、じゃあ、とっておきのおいしいの、いっぱい作ろう!」 「うん!」 砂沙美たちは、それぞれの役割分担を決めながら、校庭を後にした。 季節は、もうすぐ夏だった。 初夏の日差しがまぶしく、そして、暖かく砂沙美たちを包み込んでいた。 夏の香りをわずかに乗せて、さわやかな風が、やさしく砂沙美の頬をなで、長いおさ げと軽やかにステップを踏んでいた。 砂沙美の、魎皇鬼の、美紗緒の、留魅耶の、それぞれの笑顔が、そこにあった。 おしまい