「遅いなぁ、るー君」
少女は公園の桜の下に立っていた。
風になびく艶やかな黒髪、それは黒真珠の光沢を放っている。
その瞳の色も深い漆黒、だが現在は少し不安げな色を浮かべていた。
薄い黄色のワンピース姿に赤い靴を履いていた。
少女はもう30分待ち続けている。
今日は久しぶりに会う約束をしていた。
待ち合わせの時間は1時だった。だが公園の時計をちらっと見てみると1時半を指している。
更に待つ・・・・・・時計の針は午後2時を指そうとしていた。
「何かあったのかな?」
少女の声にはほのかに不安の色がトッピングされている。
しかし、少女は間違っても『約束をすっぽかされた』などとは考えない。
心から『るー君』を信用しているのだ。
更に5分ほどたつと少女の目に息せき切って走ってきた人物が入った。
「ハァハァハァ!、ご、ごめん美紗緒。待たせちゃった?」
現れたのは少年。少女と同じくらいの歳であろう。
ぜぇぜぇと息切れしている『るー君』こと、留魅耶である。すまなさそうな表情で美紗緒を見ている。
「本当にごめん!」
留魅耶は深く頭を下げた。
しかし美紗緒と呼ばれた少女は、そんな留魅耶に好意的な視線を向け、優しげな目をしている。
「気にしないでね、るー君。たいして待ったわけじゃないし。そんなに謝らなくってもいいよ。
そんなことより映画が始まっちゃうから、早く行こ」
ニッコリと微笑むのだった。
一瞬、留魅耶はその美紗緒の微笑んだ顔が慈愛に満ちあふれた女神の顔に見えた。
(か、かわいいなぁ!)
留魅耶の少年らしい率直な感想である。
今まで遠くからしか見れなかった美紗緒。それが今では本当に近くから見ることが出来る。それも 自分に微笑んでくれるという―――留魅耶の頭は真っ白になりかけていた。
ほとんど、真っ白になった頭で視線だけは美紗緒に集中している留魅耶だった。
「るー君、行こっ!」
美紗緒はそんな留魅耶に気が付いた風もなく、なんの屈託もなしにスッと手を伸ばす。
「う、うん!」
留魅耶は半ば反射的に差し出された手を握ると、引っ張られるように連れて行かれるのだった。
映画館までは歩いて約10分というところにある。
少年と少女は手をつなぎ肩を並べて歩いていた。
公園を抜けて商店街のアーケードの下を進んでいく。
店先の看板にはジュライヘルムを描かれたものがやたらと多い。
地球と、魔法の国ジュライヘルムが親交を結ぶようになってからまだ半年も経っていない。
地球人が『魔法』を知ったカルチャーショックの大きさを物語っていた。
これらはほんの半年前には想像もできなかったことである。
だが、二人はそんなことには気にも留めずに歩き続けるだけであった。
ただし留魅耶の方はつながれている手に全ての注意がいってしまい、辺りにまで見ている余裕がなかっただけである。
(何か会話した方がいいかな?)
留魅耶の心中にそんな思いがよぎる。が、特に言うべき事が思いつかない。
「きょ、今日は、い、いい、天気だね」
下手に意識したせいでしどろもどろになってしまっている。
「そうだね」
結局当たり障りのない会話を二言三言交わし、気が付いたときには映画館の前にまでやってきていた。
映画の内容は最近の粗製濫造されたもので、魔法の国の少女と地球人の少女が大冒険をするというお話だった。
予算をケチっている上に、役者自体があまり良い演技とは言えない出来である。
それでも、二人はそれぞれスクリーンに投射された画像を観ていた。
いつしか話は進んでいき、エンディングへと移ろうとしていた。
魔法の国の少女と地球人の少年。夕焼けが映りこんだ海の前で二人きりで見つめ合う。
ずっと前から好きだったという告白を少年がすると、少女も「あたしもよ」そう言い放った。
二人が固く抱き合うとゆっくりと互いの唇が近づいていき、二つの影が融合した。
刹那、大画面が暗転し、主題歌と共にスタッフロールが下から流れていく。
ざわざわという雑音が辺りで起こり、幕が下りる前に席を立つ観客がどんどん消えていった。
「面白かったね」
中央の真ん中の列という一番観やすい席を取っていた美紗緒と留魅耶。美紗緒は幕が完全に閉じられ、 ホールのあかりがついてから隣に座っていた留魅耶に話しかけた。
「そうだね、良かったね」
とは言っているが実のところ話の内容はほとんど覚えていなかった。
ただ、最後のラブシーンで自分と美紗緒の姿を重ねていたことは確かであったが、もちろんそんなことを言えるわけもない。
美紗緒は映画館から出る前にパンフレットを買っていった。
映画館から出てみると、二人ともお腹が空いていることに気が付いた。
食べ物を造り出せるような魔法は使うことが出来ないので、近くにあったマクドナルドに入り、ハンバーガーとフライドポテト、アイスティーを 買った。店の中は混んでいたので店内で食べることはあきらめ、どこかの公園で食べることにした。
待ち合わせていたところとは違う公園へ行き、噴水近くのベンチへと腰掛けた。
美紗緒と留魅耶はハンバーガーとポテトとかじりながらさっきの映画の話をした。
どちらかというと、積極的に話しかけるのは美紗緒であり留魅耶は一方的に話を聞きながら相づちを打っているだけだった。
しかし小一時間もすると話すこともなくなってくる。次第に会話もとぎれがちになり噴水の音だけがやけに大きく聞こえるのだった。
すると不安になってくるのが美紗緒である。
(るー君は楽しくないのかなぁ?)
そんな考えを胸中に抱く美紗緒であった。
そしてそれと共に疑問も湧いてきた。
(なんでるー君はいきなりあたしを誘ってくれたんだろう?)
それは今さら初めて感じたことではないが、心の底の方に固まっていて、どうしても拭いきれなかった気持ち。
昨日、いきなり留魅耶からの電話が入り、「映画を見に行こうよ」と誘われた。
突然だったし、かなり強引に話を進めてきた。
それは美紗緒が知っている留魅耶とは少し違っていた。
それでも今日実際に会ってみると留魅耶は留魅耶で何も変わっていないと言うことに少し安心はしていたのだ。
しかし、またその疑問はむくむくと心の中に湧きあがってきた。
意を決して美紗緒は訊いてみた。
「ねえ、るー君。ちょっと訊いてもいい?」
留魅耶は別に気にもせずに「いいよ」と答える。
「るー君はなんであたしを誘ってくれたの?」
ストレートに疑問をぶつける。
しかし直球をぶつけられた留魅耶の方は、顔を真っ赤にして狼狽していた。
動揺を隠そうとしているようだが、それはほとんど効果を示していなかった。
汗をだらだら流して顔を真っ赤にし、目はパチパチとせわしく瞬きを繰り返している。
美紗緒は訊かなければ良かったかなという気持ちにもなったが、とりあえずは返事を待った。
「そ、それは、そ、そのぉ・・・・・・。昨日、で、電話で言ったように、ち、チケットが、ぐ、偶然、手に入ったからだよ!」
「でもあたしでなくても良かったんじゃないの?」
美紗緒も酷なことを言う。だが、留魅耶の気持ちを知っていないわけではない。 留魅耶が自分のことをどれだけ想っていてくれているかは知っている。だが、何となくいじめたくなったのだ。
美紗緒が変身したときの「ピクシィミサ」の性格の部分が出てしまったのかも知れない。
「そ、そんなのって・・・・・・」
一方の留魅耶は混乱しきってウニとなった頭の中で必死に考えをまとめようとしていた。
だが、頭の混乱の度合いが高まるだけで、一向にまとまらない。
(でも、一体なんでなんだろ?)
なぜなら留魅耶もまた自問していたからだった。
2日前の夜のこと
美紗緒によく似た容貌の留魅耶の姉、名前は裸魅亜は、いきなり
「地球の服が着たくなったから、ちょっと地球に行って買ってきなさい!もちろん、ブランドの・・・・・・」
(また姉さんの我が儘か。いい加減にして欲しいなぁ)
留魅耶は憂鬱になっていた。
この忙しいときになんでそんなことを・・・・・・。
ブツクサ言っていた。
「・・・・・・タダ、じゃあ無いのよ」
姉の言葉を途中から全く聞いていなかったのだが、留魅耶は最後になって姉の言葉の調子が変わったことに気が付いていた。
「この映画のチケットをご褒美にあげるから、美紗緒と二人で行ってきなさい」
「っ?」
「なんで美紗緒と一緒に行くか分かっているわね?」
「なんで?」
それはほんの一瞬のことだった。裸魅亜のマッハパンチが留魅耶に炸裂した。拳の回りにソニックブームが発生し、それが留魅耶にたたきつけられる。
ごうん、と言う轟音がして留魅耶は部屋の壁にまで吹き飛ばされるのだった。
「あたしに似合う服を見て貰うためじゃないの!それぐらい察しなさいよ、全く。いいこと、絶対に美紗緒と一緒に行くのよ!」
裸魅亜はすたすたと部屋を出ていった。きっと執務室に行くのだろう。
犠牲者となり、壁の辺りに倒れている留魅耶は姉に対する呪詛を呟いていた・・・・・・と言うことは全くなく、
(やったぁ休日だ!その上、美紗緒とデートが出来る!!)
むしろ心の中はハッピーハッピーな気分だったのであった。
ただし、この時点で「服が云々・・・・・・」という下りは完全に忘れ去っていた。
壁に頭を打ち付けたせいなのか、記憶が少し飛んでいたのである。
それにしても、自分に都合の良いことしか覚えていなかったというのは彼にとってラッキーだったのだろうか?
少なくともデートしている間はハッピーな一日を過ごせるだろう。その後までは知らないが。
「うーん、なんでなんだろ?」
半ば独り言のように留魅耶は言った。
だが、それは本心ではない。本心では「美紗緒と一緒にいられるなら何でもいい」と思っていた。
「もういいよるー君、あまり気にしないで」
さすがに見かねてしまったのか、美紗緒は優しく留魅耶に言ってあげる。
「ごめんねるー君、誘って貰ったおいてこんな事訊くなんて」
「そんなことはないよ、美紗緒は悪くない。僕が、僕がハッキリしていないから。僕は美紗緒を!」
そこまで言って、はっと気が付いた。自分が何を言おうとしていたのか。留魅耶は慌てて口を塞いだ。
「どうしたのるー君?あたしがどうかしたの?」
美紗緒はまたミサが入ってしまっていた。小悪魔的な表情を浮かべて、次に留魅耶が発する言葉を待っていた。
「えーっと、・・・・・、・・・・・・、・・・・・・、別に、別に、な、なんでもないよ!」
「ふーん、そうなの」
「う、うん・・・・・・」
「じゃあ、あたしはもう帰るね。もう夕方だし、あまり遅くなってもいけないから」
美紗緒はいきなり立ち上がって帰ろうとした。
「ちょっと待って!」
留魅耶は立ち去ろうとする美紗緒の腕をつかむ。
次はいつ会えるか分からない、その思いが留魅耶を突き動かしていたのかも知れない。
「ぼ、僕は、み、美紗緒のことが好きだ、大好きだから一緒にいたかった!映画でなくても美紗緒と一緒にいたかったんだ!」
大音声で、それこそ少し離れてハトに餌をやっていたおじいちゃんの腰を抜かすほどの大声だ。
「るー君」
美紗緒は留魅耶の方へと向きなおる。留魅耶が見た美紗緒の頬は紅が差されたように赤かった。
「ありがとうるー君。あたしはるー君の気持ちを受け取ったよ」
そう言って美紗緒はゆっくりと留魅耶に顔を寄せた。
「これはあたしのるー君への想い」
留魅耶の額へと軽く口づける。
「!?」
「またどこか行こうね。今度は砂沙美ちゃんや魎皇鬼ちゃんと一緒に。みんなで楽しくやりたいね」
「・・・・・・うん、そうだね」
留魅耶はぼやけた頭でそう答えるのであった。
そこで二人はあたりの注目を一身に浴びていることに気が付き、二人とも真っ赤になってそそくさと退散するのだった。
しばらく二人は散策していたが、日が傾いてくると別れた。
「じゃあまたね、美紗緒」
「うん、今日は楽しかったよ。またね、るー君」
そして一人になった美紗緒は家路につく。
帰り道、
(あたしったら、なんで今日はこんなに大胆だったのだろう?るー君が告白してくれたのはすっごく嬉しかったけど、 キスまでする気は・・・・・・)
美紗緒は自分が留魅耶にしたことを思いだし、頬を上気させていた。
(まるで魔法にかかったみたいに今までのあたしの想いが何の障害もなくすんなり出た)
何となく釈然としない思いを抱くのであった。
誰も気付いていないことがある。
美紗緒と留魅耶のポケットの中の映画のチケットの半券がぼうっとした淡い光を放っていたことだ。
「おぬしは、あたしの言うことをきいとったんかーい!」
「うわっ、許して姉さん!」
「許すかーい!」
簀巻きにされた留魅耶は天井からぶら下げられたまま、くるくる、くるくる回り続けるのであった。
―――(終わり)―――
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